思い出はいつの日も、虎
漫画&text by 絵と文のおばさん
不思議なことに、今まで一度も思い出したことがなかった夏の記憶である。
小学生の頃、夏休みになると毎年のように友人のHとともに海に行った。
Hは姉と母を、私は妹と母を連れて、普通列車に揺られて蘭島の海水浴場に行くのが恒例となっていた。
あれは確か、小学校3年生の夏だったと思う。
例年にない暑い日が続いていて、いつもは砂浜で微笑みながら子どもたちの様子を見守っていた母たちが、「今年は私たちも泳ぎましょうか」と言い出したのだ。
蘭島につき、大きめのレジャーシートを敷き、あらかじめワンピースの下に水着を着込んでいた娘たちは、浮き輪と同じく期待を膨らませて、海を眺めていた。
「若い頃の水着だから恥ずかしいわぁ」。
最初にそう言ったのはHの母だった。
確か、それなりに蛍光色のなかなか厳しい水着だったと記憶している。
「うわぁ、ママ、変なのぉ」。
温厚なHの姉が、苦笑いでそう言った。
Hの母は「仕方ないでしょう」なんて言いながら、モジモジとしている。
「私も若い頃の水着だから恥ずかしいなぁ」。
続いてそう言ったのは、もちろん我が母だ。
てるてる坊主のように首から下をタオルで隠し、ガサゴソと着替え始めた母。
「いやぁ、恥ずかしいわぁ」
てるてる坊主を脱ぎ去った母は、虎になっていた。
豹柄とか、ゼブラ柄とか、他にも選択肢があっただろうに、なぜ、虎なのか。
フリルがついているとか、まさかのスクール水着とか、百歩譲ってハイレグとか。何が飛び出しても驚かない心の準備はつけていたはずだったのに。
お前、若い頃どういう日々を過ごしていたんだよ。
ジョークか?正気か?狂気か?
想定外。あまりにも想定外だ。
誇らしげに蘭島の海に現れる虎柄の実母。
リアリティのあるテクスチャーで、獣感が強めだった。
いや、母の顔が獣と化していたのかもしれない。
想像を超える攻撃的な母親の水着に、私はひどくショックを受けた。
当時の私が知る虎柄の水着を着てる人物なんて、アニメ「うる星やつら」のラムちゃんか、ドリフターズのカミナリさまくらいだ。
その虎柄リストの中に、まさか実母が食い込んで来る日が来るとは、夢にも思っていなかった。
虎柄の母を見て、Hの母がどういう顔をしたのか、Hの姉がどんな言葉を投げかけたのか、Hが何を言ったのか。
不思議なことに記憶には残っていない。
覚えているのは、妹が突然砂浜に穴を掘り、そこで用を足そうとした(通称:犬的トイレ事変)ことと、
その日の夜、日焼けで痛む背中をさすりながら、「なんでうちのお母さんは虎柄なんだろう」と夜空を仰ぎながら少し泣いたことぐらいである。